「スターゲイジー・パイ」の言い伝え

 コーンウォールの西の果てには、海の神話が息づいています。古くからあるマウスホールという村には、とても珍しい食の伝承が残されています。地元の言い伝えによると、スターゲイジーパイのはじまりは16世紀の冬に起こったひどい嵐がきっかけ。それ以来、この村では何世紀にもわたって、イギリスにおいても特殊といえるこのスターゲイジーパイのレシピが作られ、食べられてきたそうです。でも、この起源はちょっぴり疑わしいようです。

Mousehole, about as far south and west as you can go

ペンザンスの近くにあるこの魅力的な小さな漁村マウスホールは、コーンウォールの言葉では「マウゼル」と発音されます。コーンウォールで最も美しい村のひとつと言われ、その理由は村のそこここに見受けられます。迷路のように入り組んだ曲がりくねった道並みには、地元のダークグレーの石で建てられたコテージが並び、港には2つの小さなビーチが。また近くのポール教区には、記録に残る限り最後のコーンウォール語の話者だとされるドリー・ペントリース(マウスホール出身)の墓があります(今、蘇りつつあるこの美しい言語のサンプルは、以下のビデオをご覧ください)。ほぼ円形の港の外には、かつて宗教的な隠者たちが住んだというセント・クレメンツ島。そして海岸沿いある巨大な洞窟が、この村の珍しい名前の由来だと言われています。近年、マウスホールは観光客でにぎわい、とくに夏の間は多くの人が訪れているようです。

16世紀当時のマウスホールは、現在のとは全く違って、港は漁船でいっぱいだったことでしょう。まさに漁村で、住民みんなが海を頼みにしていました。いちばん豊富にとれた魚はピルチャードでーー今ではイワシ(サーディン)を呼ばれることのほうが多いですが、夏や秋には村人総出でピルチャードを捌いていたそうです。

しかし真冬の漁は危険なもので、16世紀の物語の始まりは、トム・ボーコックという漁師の活躍からだと考えられています。マウスホールの地元の言い伝えによれば、大西洋からの強い南風が大波となって荒れ吹き、港の壁を越えて押し寄せてきたそう。漁に出ることができなくなり、村全体が飢えてしまいました。そんな悪天候にもかかわらず、トム・ボーコックは小さな船で海に出て、7種類の魚を持って帰ってきたといいます。村人たちはその貴重な収穫物を大きなパイにして、獲れた魚と卵やジャガイモを詰め、パイ生地で蓋をしました。そのパイ生地の蓋には飛び出したイワシの頭が見え、まるで星空を仰いでいるように見えました。これがスターゲイジーパイの誕生物語で、村は飢餓から救われたというのです。

Georges Jean-Marie Haquette (1854 – 1906) – Public Domain

これが、この地方で語られる伝説です。けれども、この奇妙なパイについて知られていることは、実はあまりありません。スターゲイジー、スターゲイジング、スターリーゲイジーなどなど、いろいろな呼び名があることはわかっています。また、1847年に出版されたJ. O. Halliwellの“Dictionary of Archaic & Provincial Words”という辞書に、このパイに関する最初の記述があり、そこでは「スターリーゲイジー・パイは13世紀の言葉である」と断言されています。つまり、16世紀のトム・ボーコックの時代よりもずっと前から存在していたということになります。その記述を引用すると……

「ピルチャードとネギでできたパイ。ピルチャードの頭は、まるで星を研究しているかのように、パイ生地の隙間から顔を出している」

聞き覚えがありますね。

このパイの本当の起源とマウスホールの言い伝えを疑問視する理由は、もうひとつあります。それは、トム・ボーコックがこの地域に住んでいたことを示す決定的な証拠がないことです。歴史家が地元の記録をすべて調べたそうですが、この伝説の中心となる実在人物を特定するのは困難だったとのこと。おそらくこの伝説には、漁師の暮らしやそれに伴うリスクについての教訓のようなものが反映されているのかもしれません。

嵐のなか船を出す決断をする場面というのは、当時の漁師にとっては日常的だったことでしょう。ですから、このトム・ボーコックという人物は、いわば「みんな」のことであり、物語と結び付けるのに都合が良かっただけで、実在した人物ではなかったのかもしれません。いずれにしても、この伝説は、コーンウォールの小さな漁村の生活様式そのものを物語っています。人々の暮らしは、純粋に経済的にも肉体的も、海という大自然から得られる非常に予測不可能な収穫量に懸かっていたのです。

このスターゲイジーの物語は今でも語り継がれ、毎年12月23日にはマウスホールにある唯一のパブ“The Ship Inn”でお祝いがおこなわれます。 そして年に一度この日にだけ、スターゲイジーパイがメニューに加わるのだとか。“トム・ボーコック・イブ”として知られるようになったこの日、地元の人々は歴史を味わい、勇敢な漁師や先祖たちに乾杯するために集まります。村のクリスマスイルミネーションもこの日に点灯されますが、地元民にとっては、スターゲイジーのお祝いはクリスマスにも勝るとも劣らないようです。

スターゲイジーパイのレシピもご紹介していますので、ぜひお試しください↓

https://www.swanandlion.com/stargazey-recipe-japanese

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マウスホールの嵐

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