“Fry up” イギリスの朝食のお話

数週間前のこと、YouTubeの情報は鵜呑みにしてはいけないなと、つくづく感じたことがありました。というのは、お店の若いスタッフが、シェフのスチュアートと私にこんな質問をしたんです。「イギリスではほとんどの人が朝食にフィッシュ&チップスを食べる、というのは本当ですか?」と。彼女は日本のユーチューバーの配信で見たそうです。もちろん答えはノー。「まさか、そんなふうに考える人がいるなんて!」と驚いて大笑いしまったのですが、もしかしたら“fry up(フライアップ)”という表現が誤解を招いたのかもしれない、と思い直しました。“fry up”は、イギリスの朝食“the full English breakfast(フル・イングリッシュ・ブレックファースト)”のスラング的な表現。目玉焼きやソーセージやベーコンなど、たくさんのfryした(日本語的には「焼いた」に近い)要素がたくさんのったプレートなので、そう呼ばれるようになったようです。そしてその中には、イギリスではとても伝統的な朝食用の魚料理もあります。キッパーと呼ばれるニシンの燻製や、卵ベネディクトを添えたスモーク サーモンです。おそらく、これがこの情報の混乱の原因かもしれません。

数年前、家族でイギリスを訪れた際、妻(兼ビジネスパートナー)のキオが朝食にサラダを食べたいなと言ったら、私の兄はとても驚いていました。イギリス人にとって、それはとっても奇妙なことだったようです。日本にももちろん伝統的な朝食スタイルはありますが、ふだんの朝食で何を食べるかについて、日本人にはイギリスやヨーロッパのような固定観念がなく、とっても自由だなと思います。ですから私にとって、日本で素敵なホテルに泊まるときの楽しみのひとつは、朝食のバイキング。食材の種類も質も豊富で、世界中の食べ歩きをしているような気分になれるんです。

では、「フル・イングリッシュ・ブレックファースト」とは、いったい何なのでしょうか。英国朝食協会によると、一般的なフル・イングリッシュ・ブレックファーストは、“バックベーコン、卵、英国ソーセージ、ベイクドビーンズ、バブル・アンド・シーク、フライドトマト、フライドマッシュルーム、ブラックプディングに、トーストを添えた充実した食事”とされています。バックベーコンというのは、アメリカ人が好むベリーベーコン(豚バラ部分)とカナダ人が好むロースベーコン(豚ロース部分)を合わせたカットで、イギリスでは1番ポピュラーなべーコンです。

卵はどんな食べ方でもいいのですが、やはり目玉焼きが人気かもしれません。結局はfryがいちばんなのです。

そして朝食でとても重要なのが、「バンガー」と呼ばれる質のよいソーセージ。英国産の豚肉をつかって良質な肉屋さんが作ったもの。どんなソーセージでもフライアップには合いますが、やっぱりシンプルに塩コショウとメースで味付けされたソーセージが、ベストでしょう。

ブラックプディングというのは、イギリスとアイルランドを原産地とする血液のソーセージのこと。豚の血と豚の脂肪、オーツ麦や大麦を主原料とし、ペニーロイヤル、ミント、マジョラム、タイムなどのハーブで味付けされています。スライスしたものを炒めて食べるのが主流です。私はこのブラックプディングが大好きなのですが、おそらく万人受けはしないでしょうね。

朝食にベイクドビーンズはつきものですが、イギリスでは、なんと100年以上前から食べられていたということを知って驚きました。1886年、ハインツ社がトマトケチャップなどの他の商品と一緒に、ロンドンの高級百貨店フォートナム&メイソン(高級ハンパーで有名)に販売したのが始まりだそうです。当初は高級品としてブランド化され高値で取引されていましたが、年月とともに状況は変わり、ほとんどの家庭で安価に手に入る定番の食料品となりました。

1990年代には、大手スーパーマーケットチェーンが客を呼び込むためにベイクドビーンズの価格を大幅に引き下げたため、ビーンウォーズが起こったほど。ベイクドビーンズは1缶わずか2ペンス(3円)で販売されたそうですから、スーパーマーケットとしては赤字だったことでしょう。ある小さな独立系スーパーでは、缶をマイナス 2 ペンスで販売していたので、お客さんは購入するごとに 2 ペンスを受け取ったそうです。すごい話ですね。

さて、フル・イングリッシュ・ブレックファーストには3種類ものお肉がのっているわけですから、バランス的には、やはり野菜も欠かせません。といっても、もちろん炒めた野菜です。トマトも美味しいですが、私の思い出はマッシュルーム。子どもの頃、秋になると家の畑で朝早くに大きなマッシュルームを採ってきて、祖母がそれをじっくり焼いてイングリッシュブレックファーストにしてくれたもの。とても楽しかったですし、味も最高でした。

英国朝食協会によると、「バブル&スクイーク」もフルイングリッシュブレックファーストには欠かせない要素だそう。日曜のローストランチの残り物のマッシュポテトと野菜を混ぜて、外側がカリッとするまでフライパンで焼いたもののこと。けれども残り野菜がない場合にゼロから作るとなると、バブル&スクイークの本質「残り物の伝統」に反してしまいます。そんなわけで現在では、フル・イングリッシュ・ブレックファーストのジャガイモ要素として、ハッシュブラウンが多くの人に好まれています。ただし、英国朝食協会は正式には承認していません。おそらく、アメリカの発明品だからでしょうね。でも、とっても美味しいんですよ!

また協会によると、パンはバターを塗ったトーストとフライドブレッドの2種が正式なのだとか。両方はちょっと贅沢過ぎるのではないかと思いますが、とくにフライドブレッドは、この地球上で最も邪悪な魅力に溢れた食べものだと思うんです。だって、肉と卵、野菜をすべて焼いた後、フライパンに残った脂で焼いたのがフライドブレッド。フル・イングリッシュ・ブレックファーストには豚肉がたっぷり使われていますから、その脂の量ははっきり言って大量です。けれども、パンがそれを全部吸収してしまうので、焼き終わったあとのフライパンはカラカラになっています。想像しただけで胸焼けしそうですが、でも味は、最高なんです。

フル・イングリッシュ・ブレックファーストの歴史

フル・イングリッシュ・ブレックファストの歴史は古く13世紀にまで遡ります。長時間の労働をつづけられるように、より充実した朝食を食べるようになったのが始まりとされています。

ただ、現在のようなフル・イングリッシュ・ブレックファスートができあがったのは、ヴィクトリア朝時代(1837~1901年)。イギリスの上流階級に余暇があり、より豪華で手の込んだ朝食を堪能する余裕があった時代です。

第二次世界大戦中には、フル・イングリッシュ・ブレックファーストは、兵士が現場で簡単に調理できる高エネルギーの食事として、イギリス軍の主食となりました。

戦後もフル・イングリッシュ・ブレックファーストは人気を博し、イギリス文化や伝統の象徴に。しかし20世紀後半、人々の健康志向が高まるにつれ、人気も下火になりました。

2020年に実施された英国の朝食トレンドに関するオンライン調査によると、イギリスの30代以下の17%がフライを食べたことがないと答え、10人中7人がスモークサーモンや潰したアボカドをトーストに乗せる方がいいと答えています。調査では、ミレニアル世代はフライの栄養価を気にする傾向があり、20%が心臓発作や肥満と関連付けているとわかりました。

そんなわけで、フル・イングリッシュ・ブレックファーストの人気はすでにピークを終えたようですが、間違いなく今後も生き残っていくことでしょう。誰にだって、たまには邪悪なご褒美が必要ですよね? そして、二日酔いには、大きなポットに入れた紅茶とともに食べるんです。これが英国流、ひどい二日酔いの不思議な治療法です。

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